北海道拓殖銀行,潰れたもう一つの理由とは?
北海道拓殖銀行は、潰れるべきして潰れた。
だから潰れた・・・。
田舎のヨロズヤ的な発想の持ち主が多くて、
こんな結果になったのだ。
時は、バブル全盛期より少し前の、
都市銀行の、万年最低ラインから抜け出せなくて焦りもしなかった頃。
恐らく、この銀行の幹部社員は、万年から抜け出す事など考えも無かっただろう。
明治の頃。
政府から特命を受け、
北海道拓殖銀行法なる、大きな後ろ盾まで貰って、
開拓者と、北海道の農業を支える目的で建てられた銀行。
云わば、国策事業的な銀行だったのだ。
つまり、そこに住む住人と開拓者の為の、
生活を支える為の【血液銀行】だった。
北海道拓殖銀行が出来る前の金融事情は、
非常に乱れていて、色んな場面で当時の高利貸業者が、
幅を利かしていた様だ。
北海道が、まともな地になったのも、
北海道拓殖銀行が出来たお蔭と言っても過言ではない。
戦前と、戦後では語るべき焦点は大きく違うが、
この銀行の、目的と担うべき処は、そんなに大きく違っている訳ではない。
要は、北海道の発展の為だった筈だ。
北海道も戦後の混乱期を乗り越え、
日本全体が、高度成長期の繁栄も有って、安定して来た頃、
北海道にも同じような空気が流れていた。
1972年の札幌オリンピックも開催された。
戦後も過去の話となりつつあった。
中々、経済的な発展も思うようには行かない中、
それでも、低飛行ながらも北海道はジリジリと発展していった。
札幌オリンピックから、14年後、
あの、バブル景気に日本中が沸きに沸いたのだ。
飛ぶ鳥を落とす勢いの有った【バブル景気】。
若い人だろうが、年配の人だろうが、お金を手に持つ事は、
大して難しい事では無かった。
要は、お金を持って居なくても、借りて来れば良いのである。
多少は難が有っても、そんなに借金をするのに苦労しない時代の始まりなのである。
借りたお金は、自分のポケットに入れてしまえば、そのお金は自分の物だと【勘違い】を
簡単にしてしまう時代である。誰もが、そうで有った。
小金持ちでも、簡単に大金持ちに変身出来た時代。
節操なく、周りの人に同調してしまい、簡単に借金してしまう。
人の金と、自分の金の判断さえ出来ていなかった人が多数いた。
それら多くの人の支えとなった企業。
北海道で、大きくそれを担っていたのが【北海道拓殖銀行】だった。
それが、時が流れそんな銀行を
違うものにしてしまった。
おとなしかった、地元の一企業も、
バブル経済の流れの影響で、人相を変えた。
儲ける事に、疎かった銀行が、
他行をよそ眼に、「我も続け・・・、そして、追いつけ、追い抜け。」
こう号令を出したのは、
他の都市銀行が、そろそろ、身を引こうとしていた矢先の事だったのだ。
結局、このバブル景気時代に、
景気の本質を見抜けず、
田舎の世間知らずの体質が、
そのまま適正な判断も出来ずにいた幹部に、
右を倣えをした結果だった。
この当時の戦略基盤を牛耳っていた、
当時、云われていた【SSK】トリオに、誰も逆らえなく、
その方向性を失った事により、拓銀のかじ取りがまともな方向へ出来なくなった理由だろう。
中でも、この【SSK】トリオの中の、
海道氏には、誰一人とも、反論を言える空気では無かったというから、
これが、まさにその象徴と言える。
まさに、「糸が切れた水素満タンの風船」状態になったのだ。
【SSK】・・・、拓銀での当時の、鈴木・佐藤・海道氏、各氏の頭文字を取って、
この様な呼ばれ方になった。
この中の、海道氏に関しては、多少面識が有ったので、
少々、当時の事を聞いてみた。
この時、彼は、「元々、エイペックスホテルがカブトデコムより、拓銀に経営が譲渡されても、
こんな、超が付くほどの世界的なリゾートホテルなんか、拓銀の経営を任せられる様なセンスなど有る訳ない。」
等と、語っていたことを良く覚えている。
拓銀は、当時、「インキュベーター戦略」と呼び、
小さくても、成長の見込みの有りそうな企業に対し、
糸目をつけずに、金をばら撒いていた。
これを中心的に、指導したのもこの【SSK】トリオだった。
この戦略のお蔭で、土地だけはあるが小さな焼き鳥屋が、
それから、1年以内には、立派なビルのオーナーになると云うような、
おとぎ話的、実体のないバブルの群像が、次々と出来ていったのだ。
つまり、政府が1991年に発動した【総量規制】の事など、
【SSK】トリオの中心には、微塵も無かった・・・。
危機感が、全く無かった。
そして、これらの暴走を
誰も、止める事も、注意喚起する者も誰一人居なかった。
ここが、歴史ある拓銀の誤った、ベクトルの示しだったのだ。
人は、間違える動物である。
だから、検証が必要になる。
危険予知、という考えが、一つでも有ったのなら、
拓銀の崩壊は、防げていたのかも知れない。
【SSK】に対し、誰もが反論を出す空気では無かった。
ここが、拓銀の崩壊に繋がった、ターニングポイントなのでしょう。
しかし、時は既に遅しなのだ。
なぜ、誰も、気づかなかったのか?
なぜ、怪物化した【SSK】を
元の檻に入れる事が出来なかったのか?
なぜ、地元の都市銀行としての顔を
忘れてしまったのだろうか?
怪物【バブル経済】には、
皆が、節操と云う物を狂わしてしまったようだ。
人は、群れる動物だ。
まるで、オオカミの集団の様に、
群れていかなければ、生きていけない動物なのだ。
その時、リーダーは、間違った方向へ導いてしまった場合、
その集団は、壊滅してしまう。
方向だけならまだ良いが、そこに仕事量が増えて来たら、
その間違いによる損失は、非常に大きなものになってしまう。
それが、間違ったベクトルだ。
拓銀の崩壊は、まさにこれらの集約だ。
当時、頭取だった、川谷氏は、
刑務所に入り、海道氏は他界した。
佐藤氏、鈴木氏の近況は知らないが、
ロクな落ちにはなっていないだろう。
歴史ある銀行も、一握りの間違ったベクトルで、
その歴史を終えてしまうのだ。
しかし、その根底に有るのは、間違いなく人の感情と、
意地との融合だ。
失う利益と、その甚大な影響力を考えれば、
拓銀崩壊は、回避できた筈である。
やはり、国策事業的な企業は、
国鉄がそうであった様に、やはり、【責任】という、
重い字には、少し疎いのだろうか??
【拓銀】崩壊とエリートコースの崩壊